東電新会長「川村隆」どんな人?

福島第一原子力発電所の事故で多額の負債を負った東京電力

国民負担とならないためにも
その資金調達の方法として経営合理化と他分野での利益確保が求められています.

その陣頭指揮をとることになったのが,

元日立会長の「川村隆」氏です


正直,こんな状況の東電の会長だなんて貧乏くじでしかないと思いますが,
それを引き受けた川村隆とはどんな人物なのでしょうか?

略歴

北海道学芸大学(現北海道教育大学)附属札幌小学校
同附属札幌中学校
北海道札幌西高等学校を経て
1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。
1962年4月、日立製作所入社
日立では電力設計部に所属。
1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。
東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
1995年に常務取締役
1999年副社長。
2003年に退任し、日立ソフトウェアエンジニアリング・日立プラントテクノロジー日立マクセルの各会長を務める。
2009年3月、前年のリーマンショック等の影響で、大幅な赤字を出していた本社の経営再建のため、代表執行役会長兼執行役社長に就任。
(wikpediaより)


ここからの話はお聞きしたことがある人が多いのではないでしょうか?
そう
日立の「V字回復」です.

リーマンショックで7873億円の赤字を計上した日立をわずか3年で立ち直らせ,
過去最高の純利益をたたき出しました.

その主だった改革は

  • 日立情報システムズなど上場子会社の完全子会社化等の経営効率化
  • テレビ事業撤退等の不採算部門整理
  • 公募増資の実施による自己資本比率の回復
  • 三菱重工業との火力発電設備事業の統合

わずか3年でやってのけるなんてすごいですね!
再建に関しては鬼のような手腕を発揮しています.

この後は会長職を退き相談役へ.
また,日本経済団体連合会の副会長も務められていた時期もあります.

ザ・ラストマン

ご本人で本も出されています.

ラストマンとは,自分の後ろには誰ももういない,自分が最高責任者であることを示しています.
日立会長時代の思いがつづられています.

常に考えていたことは,
「いつでも自分で考え自分の行動に責任を持てる人を育成しなければならない」
ということだったようです.

この思いは,ご自身が体験されたハイジャック事件が関係しています.
このハイジャック事件において,たまたま乗客として乗っていたパイロットの勇気ある行動により無事事件は収束しました.

しかし,このパイロットの行動はパイロットにとってのマニュアル「テロリストのいうことを聞く」というものに反するものでした.

もしテロリストのいうことを聞いていたらどうなっていたかは分かりませんが,
今回は結果的に聞かないことが重要であり,
そのパイロット自身マニュアルを破ってその時点で最善と思う行動をとったわけです.

こうした体験から川村氏は
Yesマンはいらない
自分で考え,自分の行動に責任を持てる人物が必要だ
自分もそうなるべきだ

と考えるようになったそうです.

格好いいですね.こうした矜持がある人には心が惹かれます.

なぜ東電の会長に選ばれたのか?

  • 経営手腕

まず第一に日立での経営手腕が求められたことは間違いないでしょう.
東電が大赤字を出し,経営合理化と新たな収益源が求められている
こうした状況は日立の状況と酷似しています.
また,両社とも日本有数の大企業であり,その再建経験を持っているとなると他の選択肢がほとんどなかったのではないでしょうか.

  • 経歴

そもそも川村氏が技術畑出身だということが買われた可能性はあります.
しかも,その出身は火力発電事業であり,
東電において最も経営を合理化し,利益を出す手法を考えなければならない最大の稼ぎ頭の分野です.
この事業に経験があるというのも大きな点だったのではないでしょうか.

本人は日本のエネルギー構成には原子力が必要だと明言しており,
その点が国からも高ポイントだったのではないでしょうか?
国策ではまだまだエネルギー構成は原子力を含めていくようですし.

まぁそもそも日立も原発メーカーなので当たり前っちゃ当たり前なのですが.



およそこのような理由から川村氏が抜擢されたものだと思われます.
ザラストマンにあったように,ご自身の行動に責任をもってなさる方なので,
きっと生半可な気持ちで「東電の会長」というポストを引き受けたわけはないと思います.

再度豪腕を奮い,東電を立ち直らせてほしいですね.
期待しています!!!目が離せませんね!